今日は私が魚箱ラベルデザイナーになった経緯について語っていきます!
「変態的に自分が語れるものは何だろう?」
そう考えた時思い浮かんだのは、
・魚箱ラベル
・シルクスクリーンの楽しさ
・ときメモGS3の紺野玉緒
・梶裕貴
即思いついたのはこんな所です(一部スルー可)。
・・・今日は自分が魚箱ラベルデザイナーになったきっかけのお話をしようと思います!!
きっかけは色んな所に転がっている。
「魚箱ラベルデザイナー」との出会い
私はデザイン科のある女子短大へ進学したのですが、就活をほとんどしていません。
大学の就職課から斡旋される求人は地方の銀行だとか、デザイン以外の内容ばかり。
だれが受けるねん!!何のためにデザイン科来てんねん!!
そう思って学校推薦の面接は受けませんでした。
「自力でデザインの仕事探したる・・・!」
しかし、そう甘くはありません。自分で探した求人は今思えば中途採用ばかり。
そんな事にも気づかず面接を受けて落ちてを繰り返し・・・
卒業間際にパチンコ屋のPOP制作会社のMacオペレーターのバイトに受かりました。
「とにかくMacを触っていたい。業種は選ばない。」そう思っていました。
卒業式の日、大学の教授に「何かいい仕事あったら連絡ください」と携帯番号を渡しました。
ちなみに私は大学で優秀な成績を残すどころか、後半はバイトばかりしていてお世辞にも優秀とは言えないような生徒でした。
でも先生は好きだったので、夏休みのインターンを紹介してもらったりなどはしていました。
卒業2ヶ月後に鳴った1本の電話
短大卒業後、パチンコ屋のPOPを作るバイトをしていました。
このバイトが思いの外楽しく、パチンコ用語に詳しくなったり(やらないけど)
ハサミの使い方や大型プリンターの仕組みを知れたり、誤ってハサミを大型ラミネート機に巻き込んだり(笑)
↓こういうやつ※画像はお借りしました
結構どんくさかったので、先輩には当初嫌われていました。
私も先輩に苦手意識があったので、失敗を隠そうとしていましたが、ある日隠しきれないほど大きな失敗をした時に
「何で相談してくれないの?!そんなに私頼りない?!」と言われて
あ、先輩もっと頼って欲しかったのか・・・と気づきました。
それからは先輩に何でも相談して、辞める頃には仲良くなってました。
この経験もこれからの人生において大きな1歩になりました。
バイトも楽しくなってきた頃、携帯に知らない番号から電話が鳴ります。
その相手は・・・番号を渡していた教授でした。
「久しぶり。パッケージデザインの仕事で誰かいないかって要請が来たんだけれども、おまえさんどうかなと思って。」
「やります!」から入社までの期間、3日
即答で「お受けします!!」と答えてから、翌日には面接の予定が組まれ、面接して帰宅した頃に採用決定の通知が来ました。
ちなみに面接時に給料や仕事内容の話はほどんど聞かされていません。
先方は、
・Macでデザインができるか
・即入社できるか
この2点を確認するためだけの面接だったようです。
私はとにかくMacを触れる仕事で正社員ならそれでよかったので、給料や内容は二の次でした。
後から聞いた話では、給料が安すぎて求人出しても応募がなかったそうです。
そしてパッケージデザインと聞いていた仕事の内容・・・
それが「魚箱ラベルのデザイン」でした。
何だ!コネ入社かよ!と思われた方もいるかもしれませんが、そうなる為に種をまくのも才能のうちだと思っています。
あとはやりたい事への信念は貫いていたなぁと思います。
次回は魚箱ラベルデザイナー的仕事術をお話します!
最後までお付き合いいただきありがとうございます🎶
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